[107] レースは3時間延期された Date:2011/04/12(Tue) 07:59
大谷さんが被災地支援をされております。 その一部分をみなさんに紹介させて頂きます。 そして宮古にて聴き取られた内容を併せて公開させて頂きます。 震災当日、海上にて練習されていた方がどういう状況であったか? そして、どんな避難をされたか?語り継がなければならない内容がたくさんあります。 是非、皆さんにも読んで頂き、これからのセーリングライフの参考にして貰いたいものです。 転載を快諾して頂いた宮古の加藤さんと大谷さんに感謝します。
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新聞で沢山のボランティアが入ってくれたとの記事読みました。 本当はレーザー仲間が行かなくっちゃいけないのに、手伝いに行けなくってごめんなさい。 実は、いま東北便第3弾準備しています 今回は宮古
14’と18’のワークボート:宮古湾のかたずけ(多分遺体も)に使ってもらえるように手配して今整備しています。ハルは関東地方からですが、エンジンは唐津からも送ってもらっています。宮古では多分お盆が過ぎるまでセールをあげ ることは避けた方がよさそうな状況です。先週JSAFの新会長の河野氏と訪れた時のレポート読んでみてください
Takao
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J−SAILING 用原稿
宮古では「海上練習中からの大避難」にかかわった方々から生々しいお話を聞くことが出来、是非日本中の皆さん、いや世界中の皆さんにレポートしたいと思ってまとめました。我々が訪れたのは震災から3週間目、まだハーバーの前の湾で は小型ヘリがホバリングしながら遺体捜索をしていました。 話を聞いただけで体が震えました。
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巨大な津波がくる................
私達はすでに閉まった防潮堤の水門の海側で車を捨てて高い防潮堤の上にあがった。
第一波はハーバーをじわじわと浸食していく....始めはこんな感じかなと思っていた。だがハーバーの防波堤では、考えられないことが起きていた。水の壁がみるみるうちに防波堤からあふれ出し、その瞬間防波堤は一気に倒され、とてつも ない量の水が私たちに向かって襲い掛かってきた。
このままでは私達が通常非難する海面から10mほどの防潮堤の上ではひとたまりもない。堤防につながる25m程のほんの小さな丘の急斜面を必死で木の枝につかまりながら頂上まで何とかよじ登り木にしがみついた。
第二波の後の引きはものすごく、ハーバーの底が見えた。 恐ろしいほどの勢いで引いていく波が轟音をたてて渦のように移動していく中を、巨大な第三波は壁となり白波立てながら湾口の巨大な防波堤を破壊しながら襲ってきた。
今まで私達が立っていた堤防を飛び越えてくる私達たちの車やクルーザーそして眼下の建物がが跡形もなく押し流されていくのに唖然とし、只々、先に送りだした生徒たちの無事だけをを強く祈った。
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当日は宮古商業高校のFJ級3隻に顧問の先生と5人の生徒がテンダーが付き添い、ハーバー前の海面で練習をしていた。
携帯電話からは地震を知らせる嫌な音が響き、今まで一度も経験したことのないような突然の大きな揺れに、陸上に待機する高校生は座り込んで抱き合って震えている。
「津波だ!!」 と とっさに沖に無線で知らせ「直ちに曳航でハーバーに戻るよう」に指示。直後にすぐ「船を捨てろ」と指示。しかし曳航作業は思うようにはかどらない。生徒達を拾いに行こうと予備のテンダーに飛び乗って海面に向かう が、気ばかり焦る。突然、対岸の半島からハーバーに向かっての風が吹き始めた....
まるで生徒達をハーバーに送り届けるように。
自分の中では15分で津波がやってくると直覚的に感じていたので、ゆっくりと解装する「大きな地震や津波を経験したことのない生徒達」を金切り声をあげて叱咤する。市内に出ていたハーバーマスターが戻り釜石では漁港が波にのまれて いるとの情報を聞き、顧問の先生と生徒たちに500mほど離れた坂の上にある学校にダッシュで逃げるように指示。私達も生徒たちの着替えを2台の車に積んで水門に向かった.......
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ほんとうに、ほんとうに良かった。私達はラッキーだった。もし誰か沈でもしていたら、タイミングが悪ければ....と思うと....怖かった....一生懸命でした...と涙に声を詰まらせながら、小柄なハーバーの女性職員加藤さん(宮古商業のO G)が語ってくれました。
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更に詳しいことを聞いてみると、海面では地震にほとんど気がつかなかったとのこと、通常から無線を忘れて出艇したときには沖に届けるぐらい徹底していたことに救われ、無線の大切さを改めて思い知らされたとのことだ。
百隻近くあったヨットは大会で本部船に使う一隻のクル−ザーを残してインターハイ用に入れた新艇も含めて今はあとかたもない。ただ見つかったのは浄土ヶ浜に打ち上げられた一隻のレスキューボート、となりの漁港の網に引っかかっていたそのボートのカギ、それに国際信号機のAPと数字旗3......
「レースは3時間延期された」を意味する残された2枚の信号旗に込められている意味は何だろうか?
きっと、今回の大被害にめげずに........今は出来ないけど、きっと3分、3時間、3週間、3か月、3年経ったらきっといいことがあるよ、必ずカムバック出来るよ!! と神様が残してしてくれたに違いない。
なお、東北地方では仙台でも東北大学、東北学院大学、塩釜女子高校が練習中であったが、いずれも冷静かつ適切な行動で無事に避難。
もし、犠牲者が出ていたら日本中のセーリングが凍結してしまったでしょう。
指導者の皆さん、セーラーの皆さん、本当にありがとう!!
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